Proceed

【Teacher】「栄養士は生涯通用する資格。絶対に無駄になることはない」――あくなき探究心を持ち続ける本学卒業生、野村知恵子の歩み

健康栄養学科の助手として学生サポート、実習補助を行う野村知恵子。栄養士として食品加工会社、給食委託会社、介護老人保健施設で勤務し、2020年4月から本学に着任した彼女は、国際学院埼玉短期大学の卒業生でもある。今回は前進を続ける先輩の姿を追う。

あっという間に過ぎた2年間

生まれは埼玉県さいたま市。当時は大宮市だった。小さい頃から外遊びが好きで、中学校ではソフトボール部に所属。強肩と俊足を買われてセンターを守った。地元の公立校ながら、ソフトボール部は常に市内で1、2を争う強豪だった。

地元の公立高校に進学し、勉強やアルバイトに打ち込んだ。進路を考え始めたのは高校3年生になってからだった。母や祖母と料理を作る機会が多かったことから、調理師や栄養士の仕事に興味を持った。一般教養を学びたかったこともあり、専門学校という選択肢は捨てた。大宮にある国際学院埼玉短期大学の健康栄養学科栄養士専攻、現在の食物栄養専攻に進学した。

短大の生活はとにかく忙しかったが、充実していた。海外研修でオーストラリアに行き、卒業間近には仲の良い友人たちと韓国に旅行した。当時のクラスメイトとは、今でも連絡を取り合っている。

食品加工会社、給食委託会社、介護老人保健施設――栄養士の進む道を邁進

食品衛生に関する卒業研究を行っていたこともあり、食品加工会社に栄養士として就職した。そこには同じ国際学院出身の先輩がいた。同僚と年齢が近く、みんなで管理栄養士を目指そう、いつもそう話しているような会社だった。

やがて給食の仕事をやってみたいと思うようになり、給食委託会社に転職する。透析病院や産婦人科病院で病態に合わせた給食を作った。管理栄養士を目指したいという気持ちはどんどん大きくなっていった。管理栄養士免許を取得し、15年勤務した給食委託会社から介護老人保健施設(老健)に移った。

病院勤務の経験を活かし、栄養士のリーダーとして7年働いた。入居者は約150名。栄養士4名と調理員15名前後を束ね、嗜好に合わせた給食を提供してきた。老健は元気な老人も多く、食事に対する注文が多い。持病を持つ人もいるので、献立は委託先の栄養士ともよく話し合って決めた。

仕事以外の面でも業界の動向にアンテナを張り続けた。

「在宅訪問管理栄養士」という資格がある。取得のためには管理栄養士登録から5年経過、かつ病院・診療所・高齢者施設等において管理栄養士として従事した日数通算900日という厳しい条件に加え、研修を経て筆記試験に合格し、さらに在宅訪問栄養食事指導実施・実践症例検討報告レポート審査で合格しなければならない。勤務のかたわら、在宅訪問管理栄養士を取得した。

そんな日々を過ごす中、国際学院埼玉短期大学が健康栄養学科の助手を募集していることを知った。これからは栄養士を目指す若い学生を応援していきたい。何よりも自分の出身校。迷いはなかった。

学生の栄養士になりたいという志は昔と変わっていない

助手として着任した国際学院埼玉短期大学。母校に帰ってきた彼女は何を感じただろうか。

「やっぱり今と昔の学生は、少し雰囲気が違います。でも、将来に向けて頑張っている姿を見ると、栄養士になりたいという志は昔と変わらないのだな、と感じます」

日々忙しく業務に追われながらも、自分の栄養士としての経験を、できる限り学生に伝えられるよう考えている。

次に学びたいと考えていることは、教育だ。これまで施設栄養士、管理栄養士として経験を積み、現場のリーダーとして活躍してきた。しかし、教育機関で働くことは初めて。指導の方法、アドバイスの仕方、話し方、共感する力。学ばなければならないことは多い。新たな道を歩み出す彼女の探究心が尽きることはない。

「栄養士は一生ものの資格。決して無駄にはなりません。結婚や出産を経ても働き続けられる。栄養士になるからには、ぜひ管理栄養士を目指してほしいと思います。栄養指導や医療の知識が身につきますし、何より自分に自信がつく。とことん突き進んでください」